1998年・復刻編

1998年7月から11月にかけて秘かに記していた日記からの抜粋。
闇に埋もれさせるのは勿体ないので(貧乏性)。


6月30日(火)

来るべきホームページ開設に備え、とりあえず日記を書き始めよう。もっとも目下の所、いつ開設されるか見当もつかないが。
しかし、それほどダイナミックな日常をおくっているわけでないので、つまらない内容になるかもしれんが、その辺は勘弁してもらおう。
しかし、ホームページを開設するにしても、何をしましょうかね。とりあえず、ゲームとアニメの批評とか、ゲームのプレイ日誌、小説なんかを考えているが。これを読んでいる未来のあなた、どうなってます?
日記らしいことも書こう。今日は午前2時に起きてしまい、暇なので久々に『ファイアーエムブレム聖戦の系譜』を始める。1年ぶりにやったものですっかり忘れてしまっていて、いくつか疑問が出たんだが。
『ユニットが接近戦しか出来ないのはみんなスーパーロボットだからですか』
『アーマーナイトやプリーストにメガブースターはつけられませんか』
『射程10のロングアーチはもしかしてニュータイプですか』
『ユニットの改造ができないのはアストナージがいないからですか』
ううむ、この1年、スパロボばっかしてたからな。


7月3日(金)

私はよく妙な夢を見る。時々予知夢のようなものもあって結構こわい。
今まで見た夢で一番怖かったのは、私がタキシード仮面ことまもちゃんで、マーキュリーこと亜美ちゃんに浮気したことがばれ、ムーンとマーズとジュピターに責められる、というものだ。あのときのジュピターことまこちゃんの目の怖かったこと。
んで、昨晩見た夢なのだが、『花の慶次』と『ザブングル』のまざったものだった。
詳しい内容はよく覚えていないが、イノセントの街で前田慶次と出会ったジロンたちが千利休の茶の湯に招かれて、「これが文化なのね」とエルチが喜ぶ、などというろくでもないものだった。
しっかし、すごい組合わせだよな。


7月12日(日)

私は日曜日には楽しみにしているテレビ番組がある。
断っておくが、決して『ギンガマン』でも『ロボタック』でもない。『ビーダマン』でもなければ『中華一番』でもない。当然『ファンシーララ』でもないぞ。
その番組は『アタック25』だ。
いいじゃんか、好きなんだよう。今時、知識だけを問う硬派なクイズ番組という所や、クイズにパズル性を組み合わせている所とか、日曜の午後のけだるいマンネリ感とか、魅力は色々あるのだが、なんといっても司会の児玉清さんの魅力ですよ!
「4番に赤が飛込んだぁ。8番と9番の白が赤に変わる」といった流れる実況。
「残るパネルはあと2枚、仮に青の鈴木さんが入ったとしても緑の佐藤さんには届かない。これで、勝負は決まったか」と誰よりも早いパネルの計算。
「おおっとお。赤の佐藤さん、ここは20番でしょぉ」などという余計な突っ込み。
何より私が好きなのは「あたぁっくちゃあんす」ですよ。あの握った拳の震え方がグッド。
さあ、あなたも熱湯コマーシャルなど見てないで、『アタック25』を見ましょう。
♪パネ〜ルクイ〜ズ〜「アタック!!」にじゅ〜ご〜♪


7月14日(火)

わが家の近所にこおろぎさとみ(あるいはかないみか)がいた!
テスト勉強をする気がおきないまま、だらだら『ドキプリ』をやっていた深夜2時過ぎ。開け放たれた窓から聞こえてきた赤ん坊の夜泣き。あれは間違いなくこおろぎさとみ(あるいはかないみか)だ。どう聞いてもひまわり(あるいははれぶた)の声だったぞ、あれ。だてに毎週『同級生・恋愛専科』を聴いてるわけではない。聞き間違えるわけがなかろう。
こおろぎさとみ(あるいはかないみか)が千葉に住んでいるのか、とか、なぜ夜中に赤ん坊の泣き声をしていたのか、などと野暮なことは言うまい。あれはきっとこおろぎさとみ(あるいはかないみか)だったのだよ、うんうん。
ところで、しつこく”こおろぎさとみ(あるいはかないみか)”などと表記しているが、私はいまだにこのお二方の声の区別がつかんのだ。情けない。こおろぎさとみさんなんて、私の好きな女性声優ベスト3に入るというのに(ちなみにかないみかさんは20位前後。何故だ)。むう、ファン失格だのう。誰か聞き分けるコツを教えてください。


7月24日(金)

なんかさ、急に牛丼が食べたくなる事ってありません? 私はよくあるので、突然夜中の3時頃吉野家に行ったりする。そんな時間でも不思議と他のお客がいたりするんだよね。誰しも考えることは一緒なのだねえ。
なぜ牛丼が好きか、と考えると、やっぱ『キン肉マン』の影響だろうか。吉野家も経営不振のところを『キン肉マン』のおかげで救われたそうだが。しかし、『キン肉マン』のアニメでは何故、「牛丼一筋300年」と歌っていたのだ? 当時なら、80年のはずだが。

「四捨五入して300年なのじゃよ」


8月14日(金)


ボクの夏

今年の春に亡くなった伯父の墓参りに、両親とともに母の実家の長岡に行った。

照りつける太陽。青空と入道雲。

鬱蒼と生い茂る木々からはセミの鳴き声の大合唱が「じゃあーん」と響く。

木に近づくと、白くひからびたセミの抜け殻。指でつまむと、ぼろぼろこぼれる。

もう穂をつけはじめた稲が彼方まで続く田んぼ。夏の日差しに照らされるそれはなぜか狂気感を抱かせる。

あぜ道にひっそりとたたずむ、母が幼いころに、そして死んだ祖母がよくお参りをしたというお地蔵さま。

祖父の家の隣の神社。母が子供の頃、そしてぼくが夏休みに遊びに来たときにも、ラジオ体操をした境内。

変わらない祖父の家の庭。変わらない村の町並み。変わらない風景。そして、変わらないにおい。

このにおいが、変わらない、懐かしい、不思議な、いなかの、夏の、におい。

Jijy

墓参りが終わって、祖父の家でお茶を飲む。伯父が亡くなって、あの広い家に今では祖父と伯母(つまり亡くなった伯父の奥さん)だけが住んでいる。
じいちゃんは今年で93歳(実は真宮寺さくらと同い年なんだよな)なのだが、まだまだ元気のようだ。どうも元気すぎて、おばさんに迷惑をかけまくってるらしい。例えば。
ごみ捨て場から使えるもの(と本人だけが思っているがらくた)を持ってくる。うれしそうにきれいに洗ったプリンの容器をたくさん見せてくれましたよ、ええ。
訪れた親戚に「おめさん、どこのしょだったかいのおー」などとぼけたふりをする(しゃれにならんのでやめなさい)。
お客さんの前で「おらちが嫁(おばさんのことね)は自分だけうんめもん食うてんだあ、こんなに太てんだあて」などと世話してもらってるおばさんに言う。
知り合いの所に電話をかけ、「おらあ、病気なんだいやあー。金欠病」などとしょーもないイタズラ電話をする。
ううん、素晴らしいくそJijyぶりですな。
母の言を借りれば、『あのくそじさ!』である。
もう一世紀近く生きてるのだから性格は直りそうもないが、せめておばさんにあんまり迷惑はかけないようにね。
そんでもって、勝手に長生きしてください。


10月22日(木)

風邪をひいて1日寝込む。
まあ、原因は不規則な生活とか偏った食生活とかだと思えるが、それでは面白くないので20日から2泊3日で私の部屋に泊まりに来ていた妹に気を遣ったから、ということにしておこう。 ちなみに彼女は一人暮しの私のことを気遣って訪ねてきた、とかでは決して無く、なんとかというビジュアル系バンドのライブを観るために私の部屋を利用しただけである。
更にもうひとつ付け加えておくと、私と妹は実の兄妹では無く、いつの頃からかお互いと異性として意識し出したのだが、兄妹という関係を越えることが出来なくて、などということは全くないので、余計な妄想はしないように(しないか・・・、ふつー)。


10月31日(土)

今更言うのも何だが、日記というものはあまり得意ではない。だってさ、そう毎日エキセントリックな生活をしている訳じゃないしねえ。ゲームとアニメの話でもしないと書くことがないんだよ。
今は文章を書くことはそう苦にはならないのだが、小学生の頃は非常に嫌いで、作文が大嫌いだった。
そんな私が体育の次に嫌いだった授業が『作文』の時間である。毎週自分の好きなことを作文で書く、という授業だったのだが、テーマを決められても書けない人間が自由に書けといわれても書けるわけがない。そこで当時の私が編み出した苦肉の策が、その日の朝起きてからの行動を詳細に記述する、というものだった。
当時の作文を再現してみよう。

  今日の朝

 今日、朝6時50分ごろおきました。パジャマからようふくにきがえて、ふとんをたたみました。そして、朝ごはんに食パンを2まい食べて牛にゅうをのみました。そして、歯をみがいて、顔をあらって、トイレに行って、ランドセルをかついで、元気よく「行ってきます!」と言って家を出ました。

と、こんな作文を毎週『作文』の時間になると書いていたのである。よく、当時の担任教師は怒らなかったものだ。
もっとも、こんな文章を毎週臆面もなく書いていた私も大したものである。
当時と比べれば、少しはまともな『作文』になっていると思いたいが、さて、いかがなものだろうか。


11月12日(木)

近所のゲーム屋にニンテンドー64の強化パーツ(注・周辺機器である)で『バイオセンサー』というのがあった。
やはりこれをつけるとニンテンドー64が死んでいった人々の魂を力にしたりするのだろーか、などと期待したのだが、さすがに違うようだ。実際は耳たぶにコードを接続すると、ゲームに心拍数が反映されるという怪しげなものなのだが、対応ソフトってあるのかなあ。


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