何故僕たちは野球少女に恋をするのか

この文章はLOVER-SOULの同人ゲーム『花咲くオトメのための嬉遊曲』のために寄稿したものです。
LOVER-SOULのサイトおよびゲームのブックレットに掲載されていますが、当サイトにも一応アップしておきます。
まあ、18歳未満の方もいるかもしれないし。


女子野球が大好きです。

ここで言う女子野球というのは現実の女子野球ではなく、コミックや小説、アニメ、ゲームといったフィクションの中で、女子選手が活躍する作品のことを指しています。
“女子野球”なんて、ジャンル分けするほどあるの? と思う人もいるかも知れません。
しかし、野球は日本人に最も愛されてきたスポーツであり、フィクションの題材としても数え切れない程取り扱われていきました。
マイナーと言える女子野球作品も、実は意外なほど多くの作品が世に出ています。

フィクションにおける女子野球の元祖と言えるのはやはり水島新司の『野球狂の詩』でしょう。
今から約30年前、野球は男のスポーツであるという考えが今以上に強かったこの時代に、プロ野球に女子野球選手を登場させるという発想を持ってきたのは、さすが水島御大といったところです。
『野球狂の詩』は水島新司の代表作と言える人気作品となり、テレビアニメや実写映画にもなりました。
いまだに女子野球といえば『野球狂の詩』が出てくる人も多いと思います。

男のスポーツである(という認識の根強い)野球に女性選手を登場させる、という考えはクリエイターにとってもなかなかに刺激的なアイディアらしく、『野球狂の詩』以後も何作か女子野球作品がつくられました。
しかし、それらの作品はいずれもマイナーであり、大きな支持を得るには至りませんでした。
無論、作品自体の質が必ずしも高くはなかったということもありますが、女性には野球選手としての体力は無く、女子野球作品などは所詮イロモノに過ぎないという考えが根強かったということも間違いないでしょう。

しかし、90年代に入り、状況が変わっていきます。
女性の社会進出の増加や91年に行われたプロ野球の規約の改正の影響もあるでしょうが、やはりアメリカに実在した全米女子野球リーグを題材にした映画『プリティ・リーグ』(原題:A League Of Their Own)のヒットが大きかったと思われます。
やがてプレイステーション用ゲーム『ドキドキプリティリーグ』が発売され、さらにNHKのテレビアニメ『プリンセスナイン』が放映されます。
これらの作品は、制作者の野球に対する知識が乏しく、野球ものとしては不満の残る点も多かったのですが、何よりキャラクターが個性的で魅力に溢れていました。また、家庭用ゲームやテレビアニメという多くの人が接する機会の多いメディアだったため、多くの人に女子野球の魅力に気付かせることに成功しました。
かく言う私もその一人だったりします。

更に最近では、野球に詳しい作り手による、地に足の付いた女子野球作品も登場しています。
『剛球少女』は、『野球狂の詩』から続く女子野球もののお約束を踏襲しながらも、それらの要素のひとつひとつをじっくりと描き、熱いドラマとして昇華させることに成功しました。
また、『若草野球部狂想曲』は野球描写の濃密さはもちろんですが、何より特徴的なことは男子に混じって女子が(それも複数の女子がです)野球をすることに対して、ほとんどの登場人物が反感や嫌悪を抱くことも無く、自然に受け入れていることです(女子の公式戦出場は今作でも認められてはいませんが)。
これは今までの女子野球作品においてほとんど見られなかった特徴です。これは、現実に六大学野球で女性投手が投げ合ったり、高等学校女子硬式野球大会が毎年開催されるようになったということも大きく影響していると思われます。
女子野球、そして女性と野球の関係は新たなステージに到達しつつあるのかもしれません。

さて、何故我々(我々?)は女子野球作品、そして女子野球選手に惹かれるのでしょうか。
時代は変わりつつあるとは言え、未だに女子が野球をやることに対する障害は少なくありません。
実際、未だに高野連は女子に門戸を開いていませんし、ソフトボールならともかく、女性にとっては野球をやる環境さえ多くはありません。
ゆえに、女子選手はフィクションの世界においても試合以外にも様々な戦いを余儀無くされます。
女子を排除しようとする制度との戦い。
古い価値観を持つ人々の反発。女子野球作品においては、仲間であるはずのチームメイト、あるいは監督でさえも味方であるとは限りません。
そして何より身体能力。男女の体力差は彼女たちを阻む最大の障害と言ってもいいでしょう(もちろんフィクションの話ですから、男子以上の身体能力を持つ女子選手もいるわけですが)。
こういった戦いは、『プリティ・リーグ』や『ドキドキプリティリーグ』(そして『花咲くオトメのための嬉遊曲』も)のような女子選手だけで行われる女子野球(というのも変な言い回しですが)を題材とした作品も例外ではありません。
女子が野球をやることに対する偏見、またそれによる揶揄や嘲笑を浴びることは男子と混じってやる女子野球作品同様、少なくありません。
また、多くの女子野球作品において女子チームはまず部員集めを余儀なくされてしまいますが、それは取りも直さず競技人口の少なさを表してしています。
競技人口の少なさは競技のレベルを向上させませんし、競技自体の将来も期待できません。
彼女たちが野球を続けたいと思っても、それを実現する進路がないことだってあります。
また、たとえ野球が出来る環境があったとしても、『プリティ・リーグ』において戦争終結とともに女子リーグが廃止されそうになったように、それは理不尽に奪われてしまうことだってあるのです。

それでも、彼女たちは諦めません。
『剛球少女』の麻生遥が「諦めない限り夢は必ず叶う」という言葉を信じて甲子園に辿りついた様に。
あるいは『鉄腕ガール』の加納トメが「抵抗しないことは罪だ」と言い放ち、現実と戦い続けた様に。
行く手を阻むあらゆる障害と戦っていきます。
彼女たちを突き動かすのは「野球が好きだ」「野球をやりたい」という気持ち。
その気持ちを武器に、彼女たちはあらゆる困難を乗り越えていきます。
そして困難に挑み、乗り越えていく彼女たちは他の誰よりも輝きを放ちます。
それは彼女たちが、野球をやれる喜びを誰よりも知っているから。
彼女たちの輝き、それこそが女子野球の最大の魅力だと私は思います。

これから先、女子野球がどうなっていくのか、私にはわかりません。
それでも確かに言える事は、これからも女子野球作品は生まれ続けるだろうということです。
野球をやりたい! そんな夢を持ち続ける少女たちがいる限り。
そして、私は彼女たちを見つめ続けることでしょう。

だって、私はもうとっくに彼女たち、グラウンドを躍動する“野球の女神たち”にイカレちまってるんですから。


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